アミューズの会長がこのライブハウスBIG BANGを気に入っているとのことで上司の雨宮氏と意気投合やがて仙台にモーニングムーンというライブハウスが誕生する。その縁もあってBIG BANGでサザンオールスターズのコンサートが限定250組で開催された。ちょうどその時期京都の雑誌業界では情報誌カイトランド、そしてニューウェイブを扱ったペリカンクラブそして少し大人の雑誌イエスジミーなどがあった。ちょうどサザンのライブの時インタビューを依頼したのだが大人の雑誌イエスジミーだけが許可が出て、カイトランドは断られてしまった。すべてのきっかけになる生みの親の僕を断るなんで....しかしちょうどその時期情報誌もマンネリ化僕の生活も落ち込んでいる時期だった。「断られてもじょうがないよな、こんなちっぽけな情報誌」とちょうどサザンのライブの日一本の電話がかかってきた。J音楽企画の今西さんから「上田正樹が来ててよかったらインタビューしてくれないかな」そしてちょうどサザンのライブに入るエレベーターの前の行列の向かいの喫茶店で誰にも築かれずにインタビューが行われた。上田正樹も売れなかって落ち込んだ時期を切り抜け新しいアルバムが出る直前で最後に印象的だったのが「迷っている時ジミークリフのWhow many river1の歌詞でたくさんの川があるけれど。自分が思った道を行け」という言葉だった。インタビューの後すごく勇気づけられインタビュー記事も何とかこの思いをみんな伝えようとがんばって書いた。後にKBSのラジオ番組にみずから新作のテープを持って来てくれた。その歌が「悲しい色やね」だった。そして時間が過ぎ僕もVOXビルから離れていくことが決まった時期にBIG BANGで上田正樹のライブが行われた。あの時のインタビューを思い出してくやしい思いに戦った同士として今は「悲しい色やね」が売れこんなに満員のビッグバンでライブが行われている。一番後の席から僕のほほに涙が伝わった「これでいいのだ」と次への歓談を上りはじめた
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